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    ブログ更新/1983年12月31日京大西部講堂音源公開/A-Musik/Che-CHIZU/小山景子+渡邉浩一郎/

    • 2013.12.21 Saturday
    • 03:35

     1983年大晦日から1984年元旦にかけての西部講堂でのライブのカセット・テープをデジタル化しYou Tubeにあげて頂いた。曲目、メンバーは(たぶん)下記の通り。


    1983年12月31日/京大西部講堂/A-Musik
    曲目:「Die Mol Sol Darten」「アフトス・アントニオポス」
    パーソネル:竹田賢一 千野秀一 工藤冬里 小山哲人 石渡明廣
    http://youtu.be/FeuCZcyoRXA
    http://youtu.be/MNeWqRBNE_Y


    1983年12月31日/京大西部講堂/Che-SHIZU
    曲目:「I'm Dancing In My Heart」「私は夜桜」
    パーソネル:向井千恵 西村卓也 工藤冬里 高橋朝
    http://youtu.be/n9zcse5L4MQ


    1983年12月31日/京大西部講堂/小山景子+渡邉浩一郎
    曲目:「再びのバビロン」「頌歌」
    http://youtu.be/9JQzecwqqCk

    *******************************************************************
    やや前置きが長くなるが、この日までの自分の経緯を改めて辿ってみる。私が自分で音を出し始めたのは、
    1981年にVeddaのワークショップに参加したことが最初だと思う。

    歌を歌い始めたのは1982年頃からで、それまではどちらかといえば音楽雑誌マーキームーンを中心とした
    イベントの企画とか編集、海外音楽記事の翻訳をやっていた。
     

    82年の冬に西村君と、マイナーのあとにできたギャティでフリーミュージックをやりはじめた。
    この年の冬には法政大学で行われたコーネリアス・カーデューの追悼コンサートに参加している。
     

    楽器も持たずに歌うだけのところから始まって、せいぜい鈴を手に持っていたくらいで、鍵盤楽器もなかった。
     

    1983年になると、たぶんこの頃シンセサイザーを入手したので、シェシズに入れてもらって、
    京都の「ほうぼう」「マントヒヒ」「ディービーズ」「あうん」「ザボ」や、東京の「キッド・アイラック・ホール」
    「アピア」「テレプシコール」などで鍵盤を弾いた。
     

    夏には第五列の福袋に参加し、9月には例の天国注射の昼が催され、秋には反日アンデパンダンがあった。
     

    そして大晦日にA-Musikやシェシズと一緒にツアーに入れてもらって京大西部講堂で演奏した録音を、
    今回You Tubeにあげて頂いた。
     

    自分でもよくカセットテープを保管していたものだと思うが、何十年ぶりかに聞いて、
    特にA-Musikの竹田さんの歌唱には胸が熱くなった。
     

    先日吉祥寺ズミで行われたイベントのときに、竹田さんのボーカルには演歌に匹敵する直截性があったので
    山谷や曙町で演奏しても聴衆にとってけっして小難しい音楽ではなかったはずだ、と余計な口出しをしてしまったが、
    今回公開した音源などを聴いてもらえれば、納得してもらえると思う。
    千野さんのモーグがまるで怪獣の雄叫びのようだ。
    たぶん冬里君はピアノを弾いている。
    ツイン・キーボードはA-Musikでも珍しい(小山哲人談)。
    当日冬里君の歌う「プサンハンへ帰れ」も魅力的だったのだが昨今は著作権関連が厳しいので割愛した。
     

    シェシズの演奏では、前半のボーカルと合いの手は朝君。
    中盤から冬里君のセクシーボーカル?が聴ける。
    西村のベースがなんというか若々しく清々しいのが微笑ましい。
     

    浩一郎の演奏には、何を弾いてほしいとか要望は私からは出さなかったし譜面なども一切渡していないので、
    フレーズも全部浩一郎が考えて弾いている。
    老猫の嗄れ声のような浩一郎独特の音色で奏でる「頌歌」のバイオリンも泣けるが、
    「バビロン」で聞かれるバイオリン演奏が秀逸であると思う。フリーキーでありながら繊細、
    伴奏というよりもボーカルの旋律と対峙してしかもけっして互いを邪魔することがない。
     

    私の歌唱については、当時はVeddaの活動に参加したりフリーミュージックを聴いていたこともあって、
    無調と無音階をわりと普通の楽曲に無理やり引き込むということをやっていた。
    なので半分は本当に音痴なだけ!だが、半分は意図的な音痴というか、
    歌っているとどうしても表現が音階に収まりきらなくて逸脱してしまうという時期だった。
    それは他の2バンドのボーカルや楽器演奏にも共通する要素かもしれない。
     

    私がラクリモーザに参加するのはまだここから1年も先のことである。
     

    音源に附した写真は、いずれも私の手元にあったもので、私と浩一郎の写真は確かに大晦日ライブ当日の写真なのだが、
    竹田さん及び 向井さんと冬里くんの写真は、服装から見ても夏に西部講堂に行ったときのスナップショットのようだ。
    向井さんも可愛らしいが、若い冬里君のおかっぱヘアが愛らしい。
     

    写真を撮って私に渡してくれたのは、おそらく大学の同級生だったK君で、
    ツアーに同行しカセットテープのウォークマンで録音してくれていたのも彼かもしれない。
    私達の演奏の時に途中でそっと口笛でメロディを吹いてくれているのが入っている。
     

    このテープは当時は確かに私は気に入っていて、何度も聴いたのでテープがかなり傷んで、
    雑音が入るようになってしまっている。だがそれにしても、こうしてネット上にデジタルであげても、
    カセットテープの音質のほうがデジタル音源よりも音に膨らみがあって良い音のように思えるのは私のひいき目だろうか?
     

    ちょうど30年前の演奏だが、もうすぐ渋谷でA-Musikのライブが行われる。
    30年経っても本質的にあまり変わらない演奏が聴けるような気が私はしている。
    http://www.faderbyheadz.com/event/event_index.html

    **************************************************************

    追記:83年大晦日西部講堂のチラシが奇跡的?に発見されたので添付します。

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