スポンサーサイト

  • 2017.06.26 Monday

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 0
    • -
    • -
    • -

    80年代インディーズとレコードレーベルのこと

    • 2017.06.25 Sunday
    • 12:00

    受け止め方が難しい部分もあるテーマなので今まで何も言わずに来たことだが、書き留めておきたいと思う。

     

     

    アナログレコード「記憶の水の運河」の録音完了後、最初、メンバーの小山哲人氏を通じて、モダーンミュージックの生悦住氏に連絡し、PSFからのリリースを打診したことがある。しかし当時、わりとすぐに生悦住さんから断りの返答をもらった。理由は、PSFのレーベルカラーに合わないから、という理由だった。

     

     

    この頃はピナコテカとPSFが東京では代表的なインディーズレーベルだった(他にもアルケミー、のちのバルコニーとなるアスピリン、神奈川のクラゲイル等各地域に多くのインディーレーベルはあった)。ピナコテカの佐藤氏には、最初からあまり気に入ってもらえないことはわかっていたので、依頼すらもかけなかったように記憶しているが、音源は聞いて頂く機会があったようで、何かの集まりで佐藤氏と会った時、佐藤氏からは「つまらないと思う。漫画の主題歌の音楽のように感じた」という旨の率直な意見を私に対してきっちりと述べてくれた。

     

     

    両レーベルからの協力が得られないことが判明ししばらくはリリースもせず放置状態にしていたのだが、結局、メンバーの小山哲人氏が全面的に製作を引き受ける形で、完全な自費リリースに至った。彼なしにはきつねのよめいりのアナログレコードのリリースはなかったし、リリース後の流通についても彼の人脈と手配によるところが非常に大きい。

     

     

    小山哲人氏は、言わずと知れたA-Musikのベースのみならず、町田町蔵のバンド、他にも多くのインディーズバンドで活躍していた。どのバンドでも縁の下の力持ち的なスタンスで常にバンドのために奔走していた。現在ではA-Musikでのみ時たま活動しているが、様々な音源に残されている通り、骨太で簡素なラインでありながらバンド全体の音を引き立てる音質・リズムを安定して保持する、優秀なベーシストだった。

     

     

    80年代当時、世の中は今ほど多様化していなかったので、主流となるメジャーの音楽に相対する形で、都市部のインディーズがあった。そしてさらに、日本流のプログレッシグ・ロックのジャンルがそれとは別の狭い独特の世界観を形成していた。カトゥラトゥラーナとか、私がボーカルをやっていたラクリモーザもその一部だった。

     

     

    当時インターネットはなくメディアは雑誌のみだった。ロッキングオンはほとんど洋楽専門で、日本のインディーズ音楽を裏打ちするように、まずJAMなどのパンク・ニューウェイヴ雑誌があり、一方でプログレファン向けのフールズメイト、さらにその裏(?)を行くマーキームーンという雑誌があった。マーキーの初期にはわたしも編集で参加している。

     

     

    20代前半のわたしは、自分に与えられた選択肢のなかで、世俗的な魅力と連帯感を持つニューウェイヴやプログレに関わりつつも、それらすべてをも遠ざけた孤絶の立場を擁しているかに見えた竹田賢一率いるVedda Music Workshop への参加を選びとっていたように思う。

     

     

    あまのじゃくで相手を信用しきらないコウモリさんのようなわたしの音楽への態度が、結果的にプログレのメンバー半分、パンクのメンバー半分というバンド「きつねのよめいり」の結成の起点となっている。

     

     

    だから、そんなきつねのよめいりの音楽を聞いたPSFの生悦住さんが、わたしのニューウェイブに対する不信感、というよりは「全面的賛同の拒否」を敏感に察知して、これはPSFからは出せない、と言ったのはもっともなことである。また、インディーズの王道を行くピナコテカの佐藤さんには最初からとても言い出せない状況だったのも、当然のことだった。佐藤さんはわたしに近しい位置にいた(しょっちゅう吉祥寺マイナー系のライブで顔は合わせていた)から、率直に、この音楽はインディーズじゃないよ、インディーズを裏切っている、という感想を述べてくれたのも、非常に的を射た批評だった。

     

     

    最近になって人から伝え聞いたことだが、きつねのよめいりのレコードにある程度知名度が出てきてからも、モダーンミュージックの店頭には「記憶の水の運河」のアナログレコードは並べておらず、来店した客が「きつねのよめいり、ないですか」、と訊くと、生悦住さんは、「ありますよ」、といって店の奥から出してきたそうだ。そして、「あるんだけど、店頭にはちょっとわけあって出せないんだよね」と仰ったそうである。客は不思議に思ったそうだが、それは、自分がリリースを断ったレコードなのにヌケヌケと店頭に出すのは矛盾している、という実直な考えがあったのではないかとわたしは思っている。

     

     

    今日は生悦住さんの追悼ライブがあるということで、わたしとPSFの関わりを思い出したので、忘れないうちに書いておこうと思った。今思い返してみると、例えば生悦住さんのように、日本のインディーズをしっかりと守り、有象無象の中から自分の信じるバンドを擁護していた人々がいたからこそ、80年代インディーズはひとつの強力なムーブメントを作ることができた。これは間違いない。

     

     

    自分に振り返ってみると、あの時インディーズからさえも異端扱いされた(PSFやピナコテカにすらわかってもらえずはじかれたことに当時はもちろんがっかりした)ことが、今になってみれば、自分の一生涯を決する価値観にとって大きな糧となっている。

     

     

    今でもわたしは、容易に他者と活動をともにはしないし、音楽をひとつのまとまったムーブメントとか主義・ジャンルで捉えることはしない。まったくジャンルの違う音楽や、誰からものけ者にされるような活動でも、面白いと思ったらそれは存在意義が大きいと思っている。

     

     

    そしてこれから、余命がいくつあるかはわからないが、もしも、もうひと仕事できるなら、やはり、どんなジャンルにも属さない、あるいはいくつかのジャンルをごちゃ混ぜにした、奇妙な音楽を目指している。

    2017.6.25 小山景子

     

    コンポステラライブ映像公開にあたって

    • 2017.06.15 Thursday
    • 22:11

    コンポステラ 1991年8月29日 CLUB QUATTRO 
    https://www.youtube.com/watch?v=NkxNuaOHs3Q

     

    ツイッターのアカウントを持ってない方も当然おられると思うので簡単にブログで報告させて頂く。1991年8月にクアトロで行われたパフアップ祭りの中のコンポステラの映像を抜き出してYou Tube にあげて頂いている。

     

    これは、当時コンポステラのマネージメントをやっていた方の一人であるKさんが入手し大切に保管していたものである。結局見つかっていないが、まずアナログのマスター・テープが(おそらく間違いなく)最初に存在し、これはそのアナログ・コピーをさらにデジタル化したものだ。

     

    あまり詳しい情報はバンドメンバー、マネージャー含め持っていない(または忘却のかなた)なのだが、パフアップのFさんが、何らかの目的を持って(例えばテレビ会社に売り込むとか、DVDとして発売するとか)撮影し、御覧の通り、プロの編集スタジオで編集も完了させた作品である。

     

    演奏の良さもさることながら、コピーでは十分伝わらなかもしれないが、Fさんが取り仕切った音響・録音技術の高さも、生半可な企画ではなかったことが推測される。(以前誰かに、Fさんはマイクで音を録ると同時に天井近くにも集音装置をつけて高品質の録音を実現していたと聞いたことがある)

     

    コピーを自宅に保管していたKさんは住んでいた集合住宅で他の世帯からの出火による火災に会い、その際もテープを運び出して、消防車の水に濡れたVHSを乾かすなどしてその後も保管していた。

     

    そして、これももうだいぶ前だが、非常に優れた演奏なのでコンポステラのファンがみんな見れるようにしてほしいという要望とともにそのVHSを私が借り受けた。これ以上劣化しないうちにと、とりあえずすぐデジタル化したが、その時点で一部の映像の乱れと音飛びがあったので、そのまま修復はできずに今回あげている。

     

    それからレコードレーベルD社のKさんに相談したところ、マスターの捜索に大変尽力してくださったのだが、結局3年経ってもマスターの所在が明らかにならず、発起人の私としては、このままの形でもとりあえず、篠田バンドのファンや、また、初めて聞く人にも公表するべきと考え、公開させて頂いた。インターネット公開にあたっては、N氏にご協力頂いた。

     

    音楽の権利関係については、パフアップを主催していたF氏が当事者と思われるが、彼もまた数年前に逝去している。

    連絡をとるべき方々には然るべき了解を得て、今回の公開に漕ぎつけているので、問題はないと考えているが、もしもマスターを持っている、という方がいたら連絡を頂くと大変ありがたいと思う。

     

    当初マスターは見つかるつもりでいたので、きちんとしたDVDとして制作される予定であった。今回の音源はコピーのわりには音はまあまあだが、いつかはマスターが見つかり、マスターの音質で、正式にDVDとして発売されることを切に願う。だが、これまでの経緯から、そう簡単にはいきそうにないと感じているので、今回無料公開の手配を私の判断でさせて頂いた。

    もしも正規のリリースとなった暁にはYouTubeのほうはすぐに閉じる予定でいる。

     

    わたしの連絡先は従来通り、以下の通りです。

    keikokoyama3319@gmail.com

    ブログは操作方法があまりよくわからず、反響を送って頂いても見れなかったりするので、上記メールアドレスまたはツイッターへの返信でお願い致します。

     

    また、今回は多くの方のご厚意と協力によって公開の運びとなりました。この場を借りて厚くお礼申し上げます。

    小山景子

    2017年3月28日のライブのお知らせ

    • 2017.03.22 Wednesday
    • 22:06

    もう来週になってしまいましたがブログでもライブ告知します。

     

    期日:2017年3月28日火曜日

     

    場所:下北沢ネヴァーネヴァーランド

     

    時間:18時開場(喫茶・レストラン)

     

    開演:20時

     

    出演:‐山景子(20:00〜21:00) ⊃径爾韻鵑召Α21:00〜22時)

     

    チャージ:予約1500円  当日1800円  +ドリンク500円〜

     

    予約・問合せ:kokutenki3319@gmail.com

     

    小山景子演奏曲目:荒城の月/もうすぐここから/再びのバビロン/疾駆/コラル/春の丘/遊覧船/Elias

     

    ゲスト:松村剛

     

    ※来場者に音源と絵葉書をセットにした小さなプレゼントあり。

     

    詳細はtwitter 小山景子 @jjjuliaaaa をご覧ください。

     

    どうぞよろしくお願い致します。

     

    小山景子

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    凍える冬と温かいお湯

    • 2017.02.11 Saturday
    • 11:15

    子どもというものは、辛い記憶や自分にとって不可解すぎる体験は、なるべく記憶の倉庫の奥底にしまって、開けないようにするものだ。それは生きていく術のひとつである。だが年を経るにつれて、徐々に扉ががたついて、ふとしたことから転がり出ることがある。もう一度、埃を払い、丁寧に包みなおして、置き場を確かめてから、ゆっくりと扉を閉める。二度と棚から落ちることのないように。


    湯沸かし器が壊れてから、この冬水で炊事をしている。生来の臍曲がりのせいで壊れた文明を修理するのが意に沿わない。プロパンなのでガス代もかかるし、録音があって節約もしたい。屁理屈をつけたが、本当は冬の水の凍えるような冷たさを思い出してみたかった。


    そして、思い出したことがあった。私が高校2年の時、同級生の女子を1ヶ月ほど、自宅に寝泊りさせたことがあった。私の家は両親と一人っ子の私の3人暮らし、同級生の友人も一人っ子だった。


    理由は、その女子(仮に冬子さんとしよう)のお母様が、自宅で縊首して自死したので、お父様が仕事で留守にする昼間に、一人でその自宅に居るのは辛かろうから、という経緯だった。


    ただでさえ多感な娘が、そんな経験をしたうえ、いかに善意であろうとも、他人の家で(しかも一見幸福に見える友人宅に)生活するのはさぞかし煩わしかったかもしれない。


    冬子さんは本当に賢明で我慢強い人だったから、本来なら耐ええないような苦難もどうにか乗り越えていった。


    その後彼女は米国へ留学し、離れ離れになり、数年して大学生になった頃か、下北沢でばったり会った。再会で交わした会話で、私は当時世間知らずの傲慢な女子高生だった自分が、彼女に対して配慮が足りなかったことを詫びたく、だがそれもうまく言えずに、代わりに、わたしの母は冬子さんに対して無礼や意地悪はなかったですか、と訊ねた。


    すると冬子さんは、「いやいや、景子さんのお母さまはほんとうによくしてくださった。寒い冬の朝に顔を洗って歯を磨くたびに、洗面所まで熱いお湯を薬缶に入れて持ってきてくれた。そういう優しさはよく覚えている」と答えたのだ。


    景子は、ここでまたひねくれて、「ああ、そうだったの、よかったわ。私にやった意地悪を冬子さんにしなかったなら」と答えて自分の気持ちをごまかした。


    冬子さんは当時もう大人だったから、わたしの質問になにか影があることは察していたかもしれないが、良識に基づいてひとつの真実のみを答えてくれたのだろう。いずれにせよ彼女のこの答によってわたしはひとつの救いを得た。

     

    冷たい冬の水によって思い出された過去の一コマから、わたしの隠されていた記憶はあっという間に、地中の灰色の蛇のようにひきずりだされる。


    中二の冬、2階建ての自宅の2階の自室にいた私は、1階からただならぬ声で呼ぶ父の声を聞き、すでに漠とした予感を胸にぶらさげて階下に降りた。大量の血の匂い、倒れた母。救急車は呼ばないと父は言い、タクシーで病院の救急に運んで、結局傷はそうたいしたことはなかった。

     

    前後の経緯は省くが、当時のわたしが一番押し殺した感情は、自分が捨てられたという気持ちだった気がする。だが、その前に自分が捨てたのかもしれないとも感じていた。仕事で留守がちの夫を持つ専業主婦と、一人娘との関係は、知っている人ならだいたい想像はつくだろう。一種の依存かもしれない。


    不可解な事柄、あるいは隠さねばならない真実を巡って、大人の攻防が続いた後、我が家は一見平穏な日常を取り戻した。娘はそんな事件にあまり傷ついている風にも見えず、勉学をよくして地元の受験高へも入学した。わたしは母の自慢であった。


    そして高校2年生、くだんの友人の事件が起きたのである。いったいどういう経緯で、我が家に冬子さんを呼ぶことになったのか。誰かが止めるべきだったのか。我が家の3年前の事件はもちろん誰も口に出さないので、冬子さんは何も知らない。理由はわからないがなぜか居心地の非常に悪い小山家で、彼女は誰も傷つかないよう気をつかいながら、うまく切り抜けて1か月後に父親とともに遠くに転居した。


    今ならようやくわかるが、一種の対人障害を持つ母が、相当な努力をもってして、他人の娘を預かったのは、わたしに対する詫びだったのだろう。もしも狂言でなくほんとうに自殺したら、自分の娘はこんな風になっていた。言葉で表すことは不可能な後悔の気持ちを、行動で表したのだと思う。


    だが、この1ヶ月の間、母は折に触れては冬子さんの生活について影でさんざん意見を述べ、わたしは冬子さんを母がいじめているのではないかと危惧した。一方で、一人っ子で同世代の人と暮らしたことのない我儘なわたしは冬子さんに傍若無人にふるまった。大人になってから私は、ただでさえ傷ついていた彼女を当時さらに傷つけたのではないかとおおいに怖れた。そのため下北沢で再開した後前述のような質問をしたわけだ。


    灰色の、舌すら出さずさらさらと滑るように這い出てきた蛇は、最後の鋭く尖ったしっぽを見せる。まるでもう死んでいるかのようにぐったりとしているが、よく見ると40年近く生きている。その目は、なぜか、どことなく優しく悲しい爬虫類の眼だ。


    冬子さんとその父は、お母様の法要が終わった後、自宅を処分して転居し、冬子さんは海外に留学した。


    高校3年になって、わたしの別の友人の女子学生が、自殺し、神戸新聞の3面にも載って、夕方学校から帰ったわたしを玄関で迎えた母が、わたしの顔を見るなりぼろぼろと泣いて、どうしたのかと問うと、新聞に彼女の記事が載っていたとわたしに伝えた。


    共通一次試験の前夜で、高校の誰からも何の連絡もなく、どうしてなのかと母が訝ると、父は、明日が試験だから、誰もが生徒に対してひた隠しにしているのだろうと答えた。わたしは父に付き添われて通夜に行った。翌日の試験会場で、わたしは誰にもそのことは言わずに、試験用紙は白紙で提出した。


    後年、生前の母と何かの会話の時、当時の話題になった。「通夜に付き添ったことについて、その日の帰り道に景子に礼を言われたが、そのことがとても嬉しかった」と、お父さんは言っていたよ、と母がいつものように俯きながらわたしに伝えた。


    母との確執がなければ、父もおそらく、他の多くの受験生を抱える家庭と同じように、それは「なかったこと」にしようと思ったのではないだろうか。一瞬迷いながらも、やはり娘を通夜に行かせる決断をしたのだ。


    仮通夜の席でもまた、高層階から飛び降りた友人との対面は赤い色の記憶だが、それを見たことがたとえ戦争体験に近いとしても、今になってそれを否定するつもりはない。それがある種の戦争体験なら、少なくとも必要とする人に対しては、語って語り継いでいかねばならない。ある種の人々にとっては、現実は常に戦場である。

     

    薄灰色の蛇は今、眠るように眼を閉じて、とぐろを巻いているが、わたしが立ち上がればきっと、また元の穴にするすると音もたてずに入っていくだろう。


    薬缶で湯を沸かし、お茶を淹れて、今日の録音の準備をしよう。とりとめもなく書いたが、読み返すのは難儀なので、このまま投稿しようと思う。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    インディーズPA論パート2

    • 2017.01.04 Wednesday
    • 11:20

    誤解のないように言い添えておくが、私の去年のライブの場合、毎回ハコのエンジニアまたはエンジニア役の人は、とてもよくやってくれている。エンジニアを困らせている、あるいは困らせることすらなく勝手に思い悩んでいる、コマッタちゃんは私のほうである。だいたい、森田童子様でもないのに、囁き声で歌う、しかもそれをロックバンドで歌いたいなど、勘違いとまでは思わないが、少なくとも前例があまりない。規格外の方針である。ならば自分できちんと方法を確立せよ。

     

     

    それはそうなのだが、わたしが変えたいと思っているのは今のインディーズ全体の、一応商売だから、という曖昧な部分から来る環境なのだ。 いくばくかではあっても報酬をもらうプロ、セミプロの歌手なら、環境が悪くても文句を言わずにやりおおせるのが筋だ、という見方もあるだろう。だがうちらは(あえて括らせてもらった。うちら=私の意見に多少賛同してくれる方達)、そうではなくて、資本主義経済の中で金銭を取得するためではなくて、「互いに理解しあうために」音楽をやっているのではなかろうか。

     

     

    大抵はノルマ達成できず、バンドマンで経費頭割り。スタジオ代も頭割り。交通費も、打ち上げ費も、自腹。でもすごく楽しいからやっている。 これからはそうゆう時代だと思う。やっとそうゆう時代が戻って来たとも言える。スローフードがあり、スロークローズ(大量生産の衣類でなくて古着や自分らで作った手作りの衣服を着る)、スローライフ、そしてスローミュージック。

     

     

    ちなみにわたしは、アニメファンのコスプレもそういう考えの一環として、すごくおもしろい日本の文化だと思っている。若い人達はそれぞれユザワヤに行って布やカツラを手に入れ、自分ちでミシンを踏んで好きな衣装を作って作っている間も楽しんでいる。

     

     

    臥薪嘗胆・刻苦勉励ではなくて、やってる最中も、練習中もある程度は楽しく、せめて自分の声くらいはちゃんと聞こえる環境でないと、そもそも続かない。 他にも弊害はある。ドラマーのボーカリストが少ない。ギターやベースがコーラスを入れるのを嫌がる(笑)。バイオリンとかフルートとか、世の中にはいろんな楽器があるのに、そういう少数派で音量の小さい楽器をバンド編成に取り入れづらい。入っても、楽しくないからやめてしまう。結果、いつまでも旧態然としたロックバンド形態のままで、観客も飽きてくる。古臭い。

     

     

    こんなに科学が進歩してるのだから、やってできないはずはない。

     

     

    最近バンド形態のロックミュージックが若い人の間であまり流行らなくなってしまったのは、コスプレやアニソンファンに比べると昔ながらのこういった障壁が残っているせいであまり楽しめないのにお金がかかるからというのはあると思う。これは軽視していると大衆的双方向性ロック音楽それ自体の衰退を招くと私は思うのだ。 続きます。。。

    PAのこと今昔そして

    • 2017.01.04 Wednesday
    • 01:43

    わたくしごとではあるが、元々声量があまりない。ラクリモーザはチェンバーロックといえど多人数編成なので非常に難しかった。A-Musikも同様だった。きつねのよめいりは自分のバンドだったのとライブハウスがボーカル向きのハコだったのでかなり救われたが、それでもやはり相当苦労した。

     

     

    ボーカリストというのは、自分の声がしっかり聞こえないと音程がとれない。
    当然といえば当然だが、意外に、理解されないところもあるのだ。昔、A-Musikのツアーに同行して、場所はどこだったか忘れたが、竹田さんがやはり、自分用のモニターがなかったためにうまく歌えず、その事についてライブ後の打ち上げで当人を含めて話にのぼったことがあった。1980年代の話だ。自分の声がまったく聞こえなかったら音程はとれない、と竹田さんが言ったところ、誰か(リスナーだと思う)ええ〜そうなんですか、でもそれって気合でどうにかなるんじゃないんですか、と言っていた。びっくりしたが、案外、大音量のロックバンドをバックにステージに立ったことのある人じゃないとわからないんだ、と思った。

     

     

    自分にしてはわりと大きな声で歌っているのに自分の声がほとんど聞こえない、ということの不自然さ、不便さは、経験した人でないとわからないだろう。聾唖の人で、声は発せるが耳が聞こえないので喋れない、という方がいる。声を発することはできても、それが聞こえないと、言葉にはならないのだ。そういう人たちが努力して話ができるようになっているのをテレビなどで見かけると、大変な努力をされたのだな、と思う。声は高くて、抑揚が大きくなっているが、それでも、第三者に聞いてもらい、どこをどう直せばいいかを教えてもらって、最大限、普通の喋りに近いようにいわば人工的につくりあげているのだろう。自分には聞こえない音を、推測と想定で外部に向かってだけ創造している。例えて言えば、目の見えない人が具象の彫刻を作っているようなものである。

     

     

    ロックのライブを小規模のライブハウスに見に行くことが今も多いが、大音量のロックバンドの場合、ボーカルの音質は大抵、ボーカリストの立場からすれば最悪以下のものである。今も昔も変わらない。音程と、ざっくりした音質しかわからない。微妙なというよりも、ごくあたりまえの音量の大小すらも出せない。よほど大声の人でないかぎり、マイクに唇をじかにあてるようにして歌わなくては、楽器の音量に相対する音量が出せないからだ。もちろん、ドラマーも、弦も、それぞれ不満は山のようにあるだろう。それぞれの立場のことしかリアルにはわからないし、みんなが希望を言い出すとキリがないから、みんなガマンしている。

     

     

    ギターやベースは、いったん自分のそばにあるアンプに入れてからPAに行くので、まだいい。ボーカリストの前には一応モニターアンプがあることもあるが、それはPAに送られた後の音がモニターに戻って来ている点がギターやベースとは違う。そういう点ではバイオリンや音の小さいフルート等の管楽器も同じ立場だろう。

     

     

    わたしは一般的なロックのボーカリストよりも声が小さいので、録音も難しいことが多かった。ただ、ラクリモーザのシングル盤の録音は奇蹟的にうまくいった。どうしてかわからないが、推測としては、ラクリモーザ全体が生楽器の多いバンドなので、生声の録音もある程度、道ができていたのだろう。

     

     

    囁きに近いようなピアニシモから絶叫まで、声というのは一番音量の差が激しい「楽器」で、そこを掬い取らないと歌の良さは十全には出せないと私は思っている。

     

     

    録音が先だったので、その後のラクリモーザのライブは厳しかった。本番前リハで、歌っても自分の声がまったく聞こえないので、少しでもPAに近づこうと思って前に出るとハウリングし、ミキサーに、「そんなにPAに近づいたらハウるに決まってるじゃないか!」と怒鳴られた。自分の声が聞こえないと歌えない、と説明しても、何ワガママ言ってるんだ、という(言われてこそいないが)感じだった。冒頭の「気合説、精神論」みたいなのは、ライブハウスのミキサーですらも少し持っているような気がする。

     

     

    楽器奏者にしてみれば、声の大きいボーカリストを採用したいだろう。小さな声のボーカルとか、音質を優先してマイクで拾うことに固執するバイオリン、なんて邪魔なだけかもしれない。

     

     

    声量があって、発声方法が正しく、声帯から発する音を頭蓋骨に正確に当てることができるため周りがどんなにうるさくても自分の声を頭蓋内で聴けて音程がとれる、というのが優れたボーカリストの資質であるのはわかっている。だがそうでないボーカリストのほうが多い。

     

     

    わたしは、自分が下手だから、「資質的に優れた人だけが歌を歌っていい、歌いやすい」という世の中に反発がある。みんな、ごく普通の人も歌を歌って自分の気持ちを吐き出していいと思う。カラオケなんかに行って出来合いテンプレートで自分の気持ちを代弁させるよりは、どんなに下手でも、自分で作った歌を、その地域のちょっとした公共の場で、互いに聴き合ってわかりあえるというのが、音楽的にリア充な社会だという理想を持っている。

     

     

    そこで、ここに述べたような問題が出てくるのである。去年あたりから長らくやめていた音楽をまた始めるにあたって、若い頃みたいにまたライブで嫌な思いを抱え続けるのは極力避けたい、という気持ちがある。正直、ライブでの自分のサウンドの難しさがなかったら、ライブはもっと楽しかったろうし、長く続けていたかもしれない。

     

     

    もちろん、だから本来は、ボーカリストの前にはモニターアンプが転がっている。とゆうか、大抵は「一応」転がっている。ちなみに、前述の怒鳴られたハコにも転がっていた。そしてこのハコのミキサーは普段はドラムを叩いているドラマーだったことが後でわかった。なるほど。ボーカルに理解のあるハコというのは案外少ないのだ。少なくとも、ミキサーの卓側で歌の音が聞こえていれば、中の音はあまり頓着しない(というよりコントロールしきれないから切り捨て)というハコは多い。

     

     

    80年代にA-Musikで何回か歌わせてもらった時はまた別の問題があった。本番前のリハではきちんとモニターが聞こえるようにしてくれていても、本番になるとメンバー全員が自分の音量を手元の楽器やアンプでぐい〜んと上げるので、結果ボーカルの音は全く聞こえなくなる、という現象だ。今こんなことをまともなハコでやったらPAが傷むからミキサーがカンカンに怒るだろうけど、まあ、80年代のインディーズではあるあるな現象ではあった。

     

     

    当時、わたしの初歩的な解決策として、まず片方の耳に指をつっこんで自分の声を聴く、というのをやった。これは効果がある。よく昔の歌謡曲のテレビ番組なんかでも、歌手が耳のそばにそっと掌をかざして、自分の声を聞き取ろうとする仕草を見かけたものだ。これは知らない人が見れば、歌のゼスチュアにも見えるが、わかる人が見ると、ああ、気の毒に、自分のモニターがちゃんと聞こえないんだな、と思う。普通の歌謡曲の演奏でもそんなことになるのだから、歌謡曲のような声量と表現で、ロックバンドをバックにしたら、、耳を指で塞がないと自分の声は聞こえない。

     

     

    年配者は知っていると思うが、鶴田浩二。彼はいつも真っ白なハンカチを手にもって、片耳を塞いでいた。声量がなく、ビブラートの強い、わたしも彼によく似ている声なので、理由はこれなのがよくわかる。それとたぶん、毎回ミキサーに交渉して自分の声が聞こえない、と説明するのが面倒なのだ。大抵、しょうがないなあ、という反応をされるからだ。だったら白いハンカチで隠して、耳を塞いでしまおう、というわけだ。

     

     

    しかし、耳に指を入れていると、リスナーから質問がきてしまう。耳が悪いのですか?どうしていつも耳に指を入れているんですか?と。それに本来のゼスチュアというのもできない。それで、その後わたしは、自分の解決策として、小さいミキサーを手元に置き、自前のマイクからいったんミキサーに落として、そこから自分用のモニターをとって耳に送り、もうひとつの出力からPAに送るようにした。今、テレビで見る大きな会場の歌手らは皆無線で飛ぶモニターをイヤホンに飛ばしている。あれは、さぞかし耳に悪いだろうと思う。鼓膜を傷つけるのは間違いない。一時、難聴を発病する歌手が多かったのはあのイヤホンモニタのせいではなかったかと私は疑っている。

     

     

    声量が大きければ問題ないのかといえば、そうとも言い切れない。大きな声であれば、声は通るが、ずっと大きな声でなければならない。つまり歌唱が一本調子になる。たいてのロック歌手は、そういう一本調子の歌い方でも複雑なニュアンスを表現できているように見えるのは、ひとえに編曲とか楽曲の構成がうまいからだ。ボーカリストは、本当は表情豊かに歌いたいしそれによって自己実現ができるのだが、ロックの場合、矛盾に陥っていく。ボーカリストの晩年に病的な心理が多く散見されるのも、こういった構造が原因のひとつではないかと私は疑っている。細やかに表現したいことが本当はあったはずなのに、ずっと怒鳴ってばかりの歌い方で、それを賞賛されていると、自分が何を言いたいのか、普通に歌うというのはどういうことか、わからなくなってくるのではないだろうか。

     

     

    80年代、ベアーズに呼んでもらった時、ボーカルの「なかの音(ステージ内でのモニター)」が完璧だった。感動した。「記憶の運河」のボーナストラックに、春の丘のライブバージョンを入れているが、このテイクが奇蹟的にうまくいったのは、ベアーズのPAがものすごくよかったからだ。

     

     

    東京ではマンダラ2でよくやらしてもらったが、このハコもボーカルが中の音、外の音ともにとてもよかった。それで何回かやらせてもらった。今でもボーカル中心のハコのようだ。

     

     

    で、時は流れ、2012年の東京。50歳をすぎて昔の曲を歌う。レコ発をやらせてもらえる機会があり、少しだけ歌った。やはり自分の声はほとんど聞こえなかった。素晴らしいメンバーにサポートされ、思い出深い良いライブだったが、自分のボーカルに関しては、20代の頃と同様にPAで苦しい思いをした。音程ははずれまくった。だが自分も、それまで歌をやめていたのだから、あらゆる点で初心者同然。しかたがなかった。

     

     

    娘やその友人に支えられて、しばらく練習を重ね、2、3年かけて結構声も出るようになった。2015年夏、プランBでテリーの追悼に出させてもらった。テリーがいないからPAは自分で、ということで、手持ちのミキサーから自前の小さなVOXのギターアンプに繋いで自前PAをつくった。これが非常にうまくいった。すぐ横のギターアンプから自分の声が聞こえるって素晴らしい。ギタリストやベーシストはいつもこんな心地よい思いをしているのか。悔しい。どうりでギタリストは思う存分自分の演奏に浸れるわけだ。もう妙な僻み心まで出てきてしまう。この時の音源はYouTubeにもアップしている。

     

     

    その後、都内の一般的な小規模ライブハウスでまたやれる機会を作ってもらい、歌ったが、やはりどうしても、ハコのPAを通すと、歌いづらい。自前のミキサーを持っていったが、そこから店のPAに繋ぐと、2回PAを通すことになるためか、サウンドがうまくいかない。

     

     

    音づくりをいちからやるならソロからだろう。昨年、3回、ソロをやる機会を頂いているが、やっぱりこの問題が解決しない。店のPAに最初に入れてしまうと、自分が自分で歌っている気がしない。だからといって自前のPAを使うと、先日の興文堂でも、逆に外の音がうまくいかなくて、お客さんには申し訳なかったと思っている。先日の場合、私の武装戦線的モニターシステムにより、モニター内の自分用の音は完璧だった(笑)ので、自分にだけはこれでOK!の音がイヤホンから聞こえていたが、外の音はまったくモコモコの音になっていた。ミキサーを2重に使ったのが失敗だった。外の音をよくすると中の音がモワモワ。中をよくすると外がモワモワ。

     

     

    同じ日に、素敵な歌を歌っている出演者がいた。繊細な歌い方が心に響いた。彼女は普通にマイクからPAに拾っていたのだが、彼女もステージ上で、自分の声が聞こえない・・・と言っていた。だが誰も、ぴんと来ないようだった。特に誰かが改善に動くという流れにもならなかった。だってPAでは彼女の声は出ている。そういう場合、外部からは歌手の問題というのは本当に見えにくいのだろう。

     


    面倒がられるかもしれないが、わたしは言いたい。歌手はいつも、ガマンしている。自分の声が聞こえず、歌いづらいことに。大抵の場合、歌手は自分の声を張り上げることで対処する。せざるを得ない。しかしわたしは、声を張り上げると、自分の表現ができない。だってメンヘラで引きこもりだから。そこはゆずれない。いったん再開すると決めた音楽活動。また若い時と同様に辞めるとかで逃げたくはない。

     

     

    というわけで、試行錯誤の途中。読んでもらいたい、わかってもらいたいから書いた。一言二言の喋りで説明するのが難しい事柄なので。あーちょっとすっきりした(笑)。でもたぶん、話の3分の1くらいのところで、あーなんかめんどくさい話、と思われて、あんまり最後まで読まれてない気がする!ここまで読んでくれた人ありがとう!

     

     

    相対性理論なんかは、いわゆるウィスパーのボーカルで、バンドサウンドを、どうやって作っていたのだろうか。ある程度売れるようになって、ブースター的な機材や無線のインカムで補えれば、それはもちろん解決するんだけれども。私が解決したいのは、そういう特殊な場合じゃなくて、市井の(!)ロックバンドで歌う恵まれないうえに声量がないボーカリストの環境水準向上の話。

    この話はまた続きます。。。どうしても解決できなかったら、また80年代の二の舞でライブはただの苦痛になると思うので、今度こそどうにかしたいなぁ。

     

     

     

    エリオット 歌詞

    • 2016.11.24 Thursday
    • 00:41

    エリオット

     

    眠りに就いた あなたのあとで
    そっと 小さな声で
    昔の歌を 歌ってみても
    ああ あなたは何処に

     

    割れた十字架 火にくべて
    神の叫びを手に打ち込んでも
    流れる星は 夜明けの揺り籠へ

     

    巡る思いを あの夜空の
    あなたの 白い足に
    届いたならば 香るサンザシ
    ああ そっと 胸に抱いて

     

    割れた十字架 火にくべて
    神の叫びを手に打ち込んでも
    流れる星は 夜明けの揺り籠へ

     

    詞・曲 小山 景子

     

    ※この曲は、高校の時の友人、中谷恵理を追悼し作った曲です。アナログレコードのインナー・スリーブの詩も同様で、この曲はその続編のようなもの。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    森林と廃墟

    • 2016.09.27 Tuesday
    • 22:53

    毎日の通勤で見る人の群れ。殆ど皆がスマートフォンをじっと見つめている。

     

    人間、特に都会のヒトとゆう生き物は、何か合成接着剤のようなもので現実と呼ばれる平面に貼りついて生活しているのだ、と最近思う。自分も例外なく。

     

    だがわたしの接着剤は人より粘着力が弱く、乾きやすい。 ともすれば呆然として現実の平面からいまにも剥がれ落ちそうになる。

     

    帰途に温かな電飾の灯る街路を抜けるのは嫌いではないし、ほっとしてもいるのだが、そんな時にも、わたしの瞼の裏には、ふとしたはずみで、何百年も前の鬱蒼たる森林と田畑が月光に照らされている夜景が同時に映ってしまう。

     

    こんな風に現実を感じるようになったのはいつ頃からだろうか。

     

    最近はさらに、何十年、何百年後のことかも知らぬが、遠い未来に廃墟となった商店街の風景が脳裏に浮かぶ。 おそらく予見などではまったくなく、単にわたしの中の狂気のなせるわざにすぎまい。

     

    過去の森林も、未来の廃墟も、まったく畏れの感覚は伴わず、むしろそれらはとても美しい心休まる光景として、わたしの日常の現実感を内側から支えている。

     

    半ば自衛の意味で身に着けたこの感覚がなかったら、わたしはもっと疲れ果てているだろう。

     

    ここにあるものを見るとき、ここにあるからこそ見えないものへの憧憬を抱き、その意識を零さないようにして生きている。それによって、現実から剥がれ落ちそうな自分を、どうにか現実に繋ぎとめる。

     

    林檎を買う、林檎の木を思う。それを摘む老人の手を思い浮かべる。

    豆腐を切る、外国のどこかであるいは日本のどこか収穫される大豆。

    水、どこかの山奥でダムに貯まった碧の貯水。 硬貨、どこかの鉱山で遠い昔に掘り出された石塊。というように。

     

    そしてわたしの感覚のなかで、あらゆるものはすべて、廃墟へと向かう。 …なぜアナログレコードを作りたいのかといえば、それが廃墟になじむからにすぎない。

     

    ケースが割れて水に浸食されたCDは、すぐに音を出す道具とも判別すらつかない丸い板になるだろう。 レコードなら、あの艶やかな黒いビニール盤は、うっすらとその輝きを残すのではないだろうか?

     

    赤と緑のラベルが貼られた盤面は、屋根の落ちた家屋の中で風雨に晒されても、しばらくの間は鳥たちに赤い小さな果実の色を思い出させ、優雅な弧を描いて鳩らに舞い降りさせるのではないだろうか?

     

    パソコンは水に浸かればすぐに音もなく実体が消滅するが、書物であればそのページは風に飛ばされて、詩句が天空に奇跡のように翻る一瞬もあるかもしれぬ。

     

    それで、アナログレコードや、書物の制作を夢見るのだが、それらが実際にどうなるかを、見届けることは、残念ながらできない。

     

    わたしのアナログレコードの、最後の1枚はどこに埋もれて眠るのだろうか。はかない心情を歌った曲達は、凍ったまま氷河期を越えたりするのだろうか…。

     

    2016.9.27 小山景子

    2016.9.19 黒天紀ライブ 大久保ひかりのうま 覚書

    • 2016.09.20 Tuesday
    • 11:15

    昨日は来てくださった方ありがとうございました。
    若い頃の反省に鑑み、ライブの記録をつけることにしました。
    取り留めなく喋ったことも、また忘れて繰り返すとよくないので、まとめておく。
    今思いついたことも追加しました。


    シェシズがちゃんと物販を持ってきているので反省しましたが、
    私のCDも通販やネット上からのダウンロードでも購入できます。
    iTuneで全曲視聴可能、聴いてみたい曲があれば1曲200円くらいから買えるので、よろしくお願いいたします。

     

    2016/9/19 シェシズ&黒天紀@ひかりのうま


    黒天紀 本日の小山景子はソロと高橋朝氏とのデュオ

     

    セットリスト
    1.臨終(詩:中原中也 曲:小山景子
    2.春の丘
    3.頌歌
    4.エリオット
    5.再びのバビロン(with 高橋 朝)

     

    1.「臨終」
    シェシズといつ頃どんな演奏をどこでしたかというのはあまり詳しく覚えていない。だんだん記憶も曖昧になってきて、それぞれの人で記憶が食い違っていたりもする。私の覚書によれば、初めてA-Musikを見たのが1981年、この年、フレッド・フリスが初来日して、私は運営スタッフをやり、会場で椅子を並べたりしていた。まだ腰まである長髪のフレッドが、濡らしたタオルでギターを引っ叩いていた。また、マーキームーンという音楽の同人誌に参加して、海外アーティストのインタビューとか、記事の翻訳をやっていた。

     

    わたしがシェシズに参加したのは、1983年。この年に霜田誠二さんの「すずめ式」というライブで、ソロをやって、初めて人前で歌を歌った。天国注射に出たのもこの年。シェシズには6か月くらい在籍したと思う。

    今日最初の曲は、このスズメ式で歌った曲で、当時はまだシンセサイザーもピアノも持っていなかったので、伴奏なしでアカペラで歌うだけだった。他にはカリンバとか鈴などを持って鳴らしていたのを覚えている。

    これは中原中也の「臨終」という詩に自分で勝手にフシをつけて歌ったもので、詩が好きだったので、詩を読んだり書いたりしているうちに旋律がついて、それを歌うようになったのが曲を作るきっかけだった。

     

    2.春の丘
    半年くらいでシェシズを辞めた理由を思い出してみる。当時私は、ベースの西村君の人がよいのをいいことに、下らないことでいちいち文句をつけていじめていた。音が大きすぎるとか、後輩の面倒をみないとか。おそらくそれに対する反撃だったんだろうと思うのだが、西村君にこういうことを言われた。「シェシズは弦楽器だけというのがいいところなのに、鍵盤が入って、つまらなくなってしまった」と。だがずっと後になって、こういうことを言っただろう、と本人に言ってみたところ、まったく覚えていないという。(ちなみにこの日のライブの後、覚えていないと言っただろう、と聞いたら、それも覚えていなかった。以下永遠にループ予定)

     

    当時の私は、生意気な小娘だったので、目上の人や男の人にポンポン憎まれ口を叩くのは得意だったが、自分に対して何かちょっと言われるとすぐにショックを受けてしまうのだった。だが、確かに西村君の言ったことは図星で、弦だけなら微妙な音程の上げ下げが阿吽の呼吸でできるのだが、鍵盤が入ると音程が決まってしまう。

    しかし今は向井さんもたくさんピアノを使っているので、私が早すぎただけかもしれない。いずれにせよ、辞めてしまったが、ツアーに連れていってもらったりして、楽しかった。

     

    あと、シンセが重かった。だいたい、ライブの翌日は全身筋肉痛になっていた。大里君もアンプを持って駅の階段を下りる辛さを書いているが、当時の楽器は本当に重かった。コルグのポリ800だ。

    やがて友達がピアノを貸してくれて、その生ピアノを使って作ったのが「春の丘」である。演奏は、いつもそうだが、予定通り弾けるのが7、間違えるのが2、あとの1は最初から何を弾くかあまり決まっていない。

     

    3.頌歌
    元々はホメウタ、という読み方だったが、ショウカ、と呼んだり、コラールとも呼んでいる。この曲は、当時反日アンデパンダンとかに参加もしていたので、本来は、イメージとしては、機動隊のバリケードを突破するための曲として書いた。残念ながらそういう機会はなく、また、私の曲のことだから、こんなおっとりした感じでは、あんまり突破できそうにはない。

    友人に借りたピアノで、なんとなく白鍵を順番に弾いていったら曲ができた。しばらくして、ロリーが、この曲いいと思うから、演奏したい、と言ってくれて、私は楽譜が書けないので、採譜をしてくれた。すると私からするとかなり難解なコードがついていて、びっくりしたのを覚えている。

     

    落合のSOUPで4月にやった時は、マルチトラッカーをテープループ風に使ってエレクトリックでやったが、今回は最初に作ったときと同じようなピアノで歌う。


    4.エリオット
    CDに入っていない曲もやりたいので、エリオットをやる。この曲とバビロンを裏表にして、アナログのシングルCDを作りたいと思っている。バビロンは概ね録音が終わっていて、エリオットはこの秋から録音予定。

     

    私の詩は、最初に書いた時、直接的すぎるというか、歌詞のほうがきつすぎて、メロディが負けてしまうことがあるので、何度か歌っているうちに、歌詞を変えることがある。だが、最初に決めた歌詞がなかなか体から抜けず、どうしても最初の歌詞で歌ってしまうことが時々ある。最初の歌詞のほうが、言いたいことに近いのかもしれない。なので、歌詞も、間違いではないが、想定外のことがあり、完成形が決まっているわけではない。

     

    5.再びのバビロン
    今回は高橋朝さんとのデュオ。日本のジェイミー・ムーア。天才ドラマー。リハもほとんどなし、ぶっつけ本番です。そういうのがやっぱり楽しい。何も考えず、その場の人の音を全身で聴いて、その瞬間に出したい音を、思い切り出せたら最高。


    【オマケ】シェシズのリハの思い出
    2時間スタジオを予約しても、全員が1時間以上遅れ、終わる10分くらい前になって全員揃う。誰かの部屋で打ち合わせしていて、夕暮れになり、誰も電気をつけない。真っ暗になってようやく誰かが電気を点ける。眩しいほど明るい電灯。

     

    2016.9.20記 小山 景子

    イギリスのシューゲイザーアーティストGravenhurstに関する覚書

    • 2016.07.27 Wednesday
    • 15:39

    イギリスのシューゲイザーアーティスト、グレイブンハーストに関する覚書

     

    日本ではほとんど知名度のないアーティストだが、とても気に入ったので、ネット上で集められる情報を整理しておいた。

     

    グレイヴンハーストというのは、ニック・タルボットという名前のブリストルの若者が音楽活動をする際に用いていた総称である。彼はジャーナリストとしても仕事をしていて、いくつかインタヴュー記事を手掛けている。誤訳・勘違いもあるかもしれないので、英語の元の文章と出典もメモしてある。引用については文字を小さくした。

     

    ブリストルは古くは70年代にThe Pop Groupを輩出。音楽の盛んな都市だ。

     

    Gravenhurst was the musical pseudonym of the English singer-songwriter, record producer, multi-instrumentalist and journalist Nicholas John Talbot (14 May 1977 – 2 December 2014).[1] Talbot, from Bristol, England, signed to Warp Records. He died aged 37.[2] His cause of death is undisclosed.[3]@出典ウィキペディア@

     

    While Talbot began performing solo, in 1999 additional musicians helped expand Gravenhurst into a live band, with drummer Dave Collingwood also contributing performance and production work to several recordings. @出典ウィキペディア@

     

    50曲以上まとめてあるチャンネルがある。好みの曲を見つけたい人はココ。

    ★すべてのトラック - グレイブンハースト (バンド)

    https://www.youtube.com/playlist?list=PLrBJ88bpp6UKWig46lXPVzG6Zn9s3eAif

     

    さて、自分にとって時系列がわかりやすいという事情もあって、とりあえずデビューからの彼の経歴を追ってみた。赤字はシングル盤。実物は見たことなかったり必ずしも写真もネット上にあるとは限らないので、わからない部分もある。

    以下、赤字表記がシングル盤、青がアルバム、黄色がコンピとか映画のサントラ。

     

    Gas Mask Days EP CDr (Silent Age Records, 2002)

    https://www.youtube.com/watch?v=vuc40tEksII

    歌詞みあたらず。

    聞き取りは自信ないのでやめておく。誰か聞き取ってくれた人がいたらぜひともついったーかFacebookのメッセ宛かなんかで連絡を頂きたい。

    後述するがニックは自身のウェブサイトを開設しており、今も残されている。このシングル盤のジャケットのイラストをサイトにも使っている。最初に作った曲とゆうのは、アーティストのその後の曲想のすべてを暗示しているような部分があるが、ニックの場合も、このジャケットとこの曲が、彼の根本をよく表していると思う。絵は好きなラストレーターに依頼したようだ。

     

    下記サイトでは2002年にアルバムが出たような情報がある。

    http://lyrics.wikia.com/wiki/Gravenhurst

     

    ただしウィキ英語版では2001年にアルバムが出て、2003年に再発と書かれている。

    Internal Travels CD (Red Square / Mobstar, 2001), second pressing of 500 copies (Silent Age Records, 2003)@ウィキペディア

     

    憶測だがたぶん2001年に先にモブスターからアルバムを出して、2002年にシングルをサイレントエイジから出して、2003年に同じアルバムを再度サイレントエイジから500枚だけ出したのかもしれない。つまりは最初のアルバムは好評だったということだろう。サイレントエイジというレーベル名は、アルバムの中の曲名でもあることから、もしかしたら彼の自主レーベルかもしれない。

     

    ファーストアルバムのタイトルは、Internal Travels

    曲目は、1.Ice On Black Water 2.The High Seas 3.In Your Room 4.St.Vincent Rock 5.The Silent Age 6.a Call To Arms 7.Mountain 8.Song Of The Summoning 9.Song for Luke 10.Meet The Family

    これらの曲は現時点ネット上に音源は見当たらなかった。

     

    フェイスブックは下記 なんとほとんどがアナログレコードなのだ

    https://www.facebook.com/gravenhurst/photos/pb.5991623587.-2207520000.1468947243./10152901406303588/?type=3&theater

    ここを全部読めばおそらく疑問が解決するのだがまだ読めていない。

     

    ニックはマイスペースも作っていた。下記。

    https://myspace.com/gravenhurst

    おそらく彼自身から得たと思われる内容がある フェアポートコンヴェンションから影響を受けたという情報もここにある。私もまだ全部は読めていない。読んだらここに追記していこうと思う。

     

    ついったーも削除されず残置されている。

     

    2003年、またシングルを出している。

    "The Diver" 7" (For Us Records, 2003)@ウィキペディア

    音源は下記

    https://www.youtube.com/watch?v=UYbkVrVXjEc

     

    ★この曲で私はニックのファンになった。英語歌詞と私の訳を下記に記す。

    *************************************************************************

    Diver by Gravenhurst

    It's getting darker and i'm still swimming

     it hits me again

     I'm getting deeper and i'm still swimming

     it hits me again

     and i am never frightened no i am never afraid

     and you will never understand the lengths i go to light your way

     

    See, left behind on my own

     i have the ghosts of autumn murders walk me home

     see the girl on the shore

     it's my ideal, nothing more

     

    It's getting darker and i'm still swimming

     it hits me again

     the sun is sinking palebluesaltwaterbreathing

     it hits me again

     and i am never frightened no i am never afraid

     and you will never understand the depths i sink to light your way

     

    See, left behind on my own

     i have the ghosts of autumn murders walk me home

     see the girl on the shore

     It's my ideal

     

    曲名:ダイバー  詞・曲・演奏:グレイヴンハースト 

     

     日が暮れる 僕はまだ泳いでる

     すると ああ そうだったって気づくんだ

    深く潜る 僕は泳ぎ続けてる

    全然怖くない 深みへと潜ることは恐ろしくはない

    君にはわからないだろう 深く潜るほど明るくなっていくんだよ

     

    ほら 僕の左後ろには

    秋に殺められた者の亡霊が 帰り道についてくる

    海辺には 少女がいるよ

    彼女は僕の理想 ただの幻影

     

    日が暮れる 僕はまだ泳いでる

     そして思い出す

    太陽は 塩を帯びた蒼い 息づく海へと沈む

     ああ そうだったって思い出す

    全然怖くない 深みへと潜ることを僕は怖れない

    君にはわからないだろう 深く沈むほど動きが楽になってくるんだよ

     

     ほら 僕の左後ろには

    秋に殺められた者達の亡霊が 帰り道についてくる

    海辺には 少女がいるよ

    彼女は僕の理想 ただの幻影

    それは幻の

    理想の少女

    *****************************************************************

     

    2003年の活動は下記、コンピレーションアルバムへの参加、ラジオで生演奏。いずれも出典は@ウィキペディア。

     

    "Long Way Home" – (555CD55 – 555 Records compilation, 2003)

    音源なし、ファーストアルバムには入っていないので、新曲ということだろう。

    "Damage part III" – (played solo on Irene Trudel's WFMU radio show in 2003).

    これは後々アルバム収録される曲。当時点では新曲。

    "Romance" – (played on Irene Trudel's WFMU radio show in 2003)

    これも後でアルバムに入る。

     

     From 2004 to 2006 Gravenhurst performed as a trio with Huw Cooksley on bass guitar. @ウィキペディア

     

    2004年。シングルリリース。

    Black Holes in the Sand EP LP/CD (Warp Records, 2004)

    音源はいくつかある。

    Gravenhurst - Black Holes in the Sand - A Take Away Show

    https://www.youtube.com/watch?v=eWhQKAbzVuc 2007/09/10 にアップロード)

    これは弾き語り。下記注釈があるがまだ私は当サイトは読めていない。

    | Subscribe for more: http://bit.ly/blogosubs
    Gravenhurst plays "Black Holes in the Sand" in Paris, France

    宅配(TakeAway)のバイクが走り、走って行った先でニックが外で演奏している。どういう意味だろうか。

     

    GRAVENHURST "Black holes in the sand" (2004)

    https://www.youtube.com/watch?v=M-rQLse-gl4

    これはレコードの音源だろう。存命中2010年にアップロードしている。最初アナログ盤で出して、デジタル音源については数年後に自分でYouTubeに一般公開していることになる。

     

    ファンには嬉しいライブ音源が上がっている。

    Gravenhurst - Black Holes In The Sand (Tipi Stage, End Of The Road Festival 2012)

    https://www.youtube.com/watch?v=fZrTUU1ZdIc

    2012/09/04 に公開 Gravenhurst performing "Black Holes In The Sand" on the Tipi Stage at the End of the Road Festival in Larmer Tree Gardens, Dorset.

    シンセサイザーがコルグだなあ、と思った。日本万歳。どうでもいいか。

     

     

    歌詞は下記。

    Lyrics to Black Holes In The Sand

     

    in the small hours I realise what I have done

    in the small hours I realise what I have done

    I held the hand that threw the stone that killed the bird that woke the city

     

    I held the hand that threw the stone that killed the bird that woke the city and I could not feel the flower in my hand I could not feel the cracks beneath my feet and black holes in the sand

     

     

    そして、どうやら2003年には自主盤でフラッシュライト/・シーズンズというアルバムを出していたようで、2004年になってワープから本国他国同時発売。2001年に自主盤で出したファーストが2003年に再発となったように、2003年に国内だけでリリースしたセカンドアルバムが2004年に優秀なレーベルワープから再発されたということだろう。最初の限定盤はたぶんアナログレコードだったんだろうと思うのだがこのへん自分的に確定調査未完。だが本人の残置してあるついったー情報からも、アルバムの木の版画を作る工程などが載っていて、CDサイズではなさそうなので、ジャケの絵も手作り的で版画だから限定盤的なものを500枚くらい出したんじゃないかと思う。

     

    Flashlight Seasons CD (Sink & Stove Records, 2003), re-released internationally on LP/CD (Warp Records, 2004)@ウィキペディア

     

     

    全曲You Tubeに全10曲上がっている。下記。

    https://www.youtube.com/playlist?list=PLkRGz7rqwGe3FN1f6W25qb8z6tpxUWO2t

     

    2007年には公開しているので、やはりデジタル音源は無償という考え方だと思われる。

     

    曲目は1.Tunnels 2.Fog Round The Figurehead 3.I turn my face to the forest floor 4.Bluebeard 5.The Diver 6. East of the City 7. Damage 8.Damage II 9.The ice tree 10 hopechapel hill

     

    このアルバムは国際的な彼のデビューアルバムともいえるし、内容もほんとうに素晴らしい。

    今日は疲れたのでここまで。また来週。

    小山景子

     

    recent comment

    profile

    search this site.

    PR

    calendar

    S M T W T F S
      12345
    6789101112
    13141516171819
    20212223242526
    2728293031  
    << August 2017 >>

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM